徒然草 現代語訳 吉田兼好

徒然草を現代語訳したり考えたりしてみる

吉田兼好の徒然草を現代の言葉で書いたり、読んで思ったことを書いています。誤訳や解釈の間違いがありましたらぜひご指摘ください。(序段---冒頭文から順番に書いています。検索窓に、第〇〇段、またはキーワードを入力していただけばブログ内検索していただけると思います)

第百四十三段 人のご臨終の様子がすばらしかったこと

人のご臨終の様子がすばらしかったことなんかを、誰かがしゃべるのを聞いてて、ただ「静かで混乱も無かったよ」って言うんだったら、心苦しいってこともないんやけど、愚かな人ってのは、ミステリアスな、いつもと違ってた様子だったかのように誇張し直して、(故人が)言った言葉も行動も、自分の中で勝手に美化してほめ称えたりするのは、その亡くなった人が常日頃持ってた意思でもなんでもないんちゃうかな、って思うんよね

この「死」っていう一大事は、神様仏様の権化であっても予測不可能
博学な先生も予測はできない
自身に違っているところがないのなら、他人の見聞きによって判断するもんじゃないよ


----------訳者の戯言---------

イメージ操作はいかんよ。
ってことですか。

結論がいまいちボヤ~っとしてますけどねー。
兼好、主語述語をしっかりと、もうちょっとはっきり書いてくれ。


【原文】

人の終焉の有樣のいみじかりし事など、人の語るを聞くに、たゞ、「靜かにして亂れず」といはば心にくかるべきを、愚かなる人は、怪しく異なる相を語りつけ、いひし言葉も、擧止も、おのれが好む方に譽めなすこそ、その人の日ごろの本意にもあらずやと覺ゆれ。

この大事は、權化の人も定むべからず。博學の士も計るべからず。おのれ違ふ所なくば、人の見聞くにはよるべからず。


検:第143段 第143段 人の終焉の有様のいみじかりし事など