第百三十六段 土偏でございます
医師の(和気)篤成が、今は亡き後宇多法皇の御前にひかえてて、お料理が配膳された時、
「今からサーヴされるお料理の食材について、法皇さまが名前や効能をお尋ね下さったら、私が何も見ずに申しますんで、医学書に照らし合わせてご確認ください。一つも間違いませんから!」
と申したんだが、まさにその時、今は亡き六条内大臣の源有房が入って来られて
「私、有房がついでに物を教わりましょう」
って言って
「まず『しほ』という文字は、どの偏でしょうか?」
とご質問されたら、
「土偏でございます」
って言ったんだけど、
「あなたの才覚の程度はもうはっきりしました。今はそれで十分でございます。これ以上聞きたいことはありません」
と申されたんで、みんな大爆笑になって、篤成はすごすごと部屋から出て行ってしまったんだよね
----------訳者の戯言---------
前の段に続いて、知ったかぶりの人をdisる展開。
「しほ」っていうのは塩のことなんですけど、正字は「鹽」と書くそうです。
で、有房がちょっと偉そうにしてるドクター篤成に、意地悪な質問をしたって話。
けど、正確に言うと「鹽」には偏はないですからね。
「偏は?」と聞かれたら、「塩」だから「土へん」と思うのは当然です。
間違いではない、と私は思いました。
実は「鹽」は「鹵」(ろ)と「監」からできてるんですね。
ですから、「偏はありません。敢えて言うなら塩の正字は鹽ですから部首は鹵(ろ)ですかね」と答えれば大正解でしょうか。
しかし、これにはさらに古典の難しいところがあって、この問いそのものが偏のことを言ってるんじゃなくて、「『しほ』という文字はどの文献(篇)にありますか?」ではないかという説もあるんです。
で、それがわからなかったドクター篤成が、ごまかすために勘違いしたフリをして「(『へん』だったら)土偏でございますが? 何か」って答えた、と。
まあ、その可能性もありますね。
この説だと先にも書いたように、問い自体がそもそも間違ってる、ということはなくなりますから。
ま、いずれにしても鹽っていう字。
画数多すぎ。難しすぎ。
私、一生書くことはないでしょう。
【原文】
醫師篤成、故法皇の御前に候ひて、供御の參りけるに、「今參り侍る供御のいろいろを、文字も功能も尋ね下されて、そらに申しはべらば、本草に御覽じあはせられ侍れかし。一つも申し誤り侍らじ」と申しける時しも、六條故 内府まゐり給ひて、「有房ついでに物習ひ侍らん」とて、「まづ、『しほ』といふ文字は、いづれの偏にか侍らむ」と問はれたりけるに、「土偏(どへん)に候」と申したりければ、「才のほど既に現はれにたり。今はさばかりにて候へ。ゆかしきところなし」と申されけるに、とよみになりて、罷り出でにけり。