徒然草 現代語訳 吉田兼好

徒然草を現代語訳したり考えたりしてみる

吉田兼好の徒然草を現代の言葉で書いたり、読んで思ったことを書いています。誤訳や解釈の間違いがありましたらぜひご指摘ください。(序段---冒頭文から順番に書いています。検索窓に、第〇〇段、またはキーワードを入力していただけばブログ内検索していただけると思います)

第百三十二段 鳥羽の作道

「鳥羽の作道(つくりみち)」は、鳥羽殿(鳥羽の離宮)が建てられた後の名前ではないのよ
昔からあった名前なんだよね
元良親王の、元日の賀詞(祝詞)を読み上げる声がめちゃくちゃよく通って、大極殿から「鳥羽の作道」まで聞こえたって、李部王の日記にございます、だって!


----------訳者の戯言---------

地図で測ってみたところ、大極殿から羅城門までは3km以上あります。
っていうかむしろ4kmに近い。
「鳥羽の作道」は羅城門から鳥羽の離宮までの道だったということで、さらに南に約3kmあったということですね。

ま、鳥羽の作道の北端でも大極殿から4km弱ですから、普通は肉声は聞こえないです。

B'zの稲葉やTM西川がPA使えば聴こえますが。
ドリカム吉田美和も。
けどマイクなしでは無理かと。
兼好も「李部王、嘘っぽいよなー」のトーンで書いてますね。

ところで元良親王って誰?
調べました。陽成天皇の第一皇子だそうです。

では李部王は?
醍醐天皇の第四皇子で、式部卿だった重明親王のことだそうです。
中国の人ではありません。
「李部」っていうのは「式部省」の当時の中国名だそうです。
唐風にかっこよく言うと「李部」になるわけね、当時は。


【原文】

鳥羽の作道(つくりみち)は、鳥羽殿 建てられて後の號にはあらず。昔よりの名なり。元良親王、元日の奏賀の聲、はなはだ殊勝にして、大極殿より鳥羽の作り道まで聞こえけるよし、李部王の記に侍るとかや。


検:第132段 第132段 鳥羽の作道は