徒然草 現代語訳 吉田兼好

徒然草を現代語訳したり考えたりしてみる

吉田兼好の徒然草を現代の言葉で書いたり、読んで思ったことを書いています。誤訳や解釈の間違いがありましたらぜひご指摘ください。(序段---冒頭文から順番に書いています。検索窓に、第〇〇段、またはキーワードを入力していただけばブログ内検索していただけると思います)

第百十九段 鎌倉の海にいる鰹という魚は

鎌倉の海にいる鰹(かつお)という魚は、あの地方では比べもののない物として、最近もてはやされてるものです
それも、鎌倉の年寄りが申しましたのは「この魚は、私たちが若かった頃までは、身分の高い人の前に出す事はありませんでした。頭は身分の低い者も食べず、切り捨てたもんです」と申しました

このような物も、末法の世なので、上流社会まで入り込んでくるのです


----------訳者の戯言---------

最近だとニシンとか、マグロのトロとかもそうですよね。
昔はそんなに高級品じゃなかったのにっていう食べ物。

そのうち、サンマとかイワシとかサバとかも高級魚になっていくんでしょうかね。

ところで、「末法の世」ですが、一般には西暦1052年からと言われていますから、1330年だともうだいぶ経つんですけどね。
ここで出てくるお年寄りが若い頃、すでに末法の世だったはずなんですけどね、そういうことじゃないですか、そうですか。

相変わらず兼好法師、上流階級と身分低い者との差別意識ハンパなし。

それと、悪いこと、なんでもかんでも末法のせいにしちゃだめ。


【原文】

鎌倉の海に鰹といふ魚は、かの境には雙なきものにて、この頃もてなすものなり。それも、鎌倉の年寄の申し侍りしは、「この魚、おのれ等若かりし世までは、はかばかしき人の前へ出づること侍らざりき。頭は下部も食はず、切り捨て侍りしものなり」と申しき。

かやうの物も、世の末になれば、上ざままでも入りたつわざにこそ侍れ。


検:第119段 第119段 鎌倉の海に鰹といふ魚は