徒然草 現代語訳 吉田兼好

徒然草を現代語訳したり考えたりしてみる

吉田兼好の徒然草を現代の言葉で書いたり、読んで思ったことを書いています。誤訳や解釈の間違いがありましたらぜひご指摘ください。(序段---冒頭文から順番に書いています。検索窓に、第〇〇段、またはキーワードを入力していただけばブログ内検索していただけると思います)

第九十段 大納言法印の使用人の乙鶴丸

大納言法印の使用人の乙鶴丸が、やすら殿という者と仲良くなって、いつも遊びに行ってたんだけど、ある時出かけて帰ってきたので、法印が「どこに行ってきたの?」と聞いたら「やすら殿の所へ行って参りました」と言うんですよ
「そのやすら殿は一般の男か、それとも僧侶か」とまた質問されたところ、かしこまった感じで「どうでしょう…頭を見ませんでした」とお答えしたの
なんで頭だけ見えへんかったんやろか


----------訳者の戯言---------

これ、笑うとこですかー。
「すべらない話」的なやつですか?

ま、諸説あるとは思います。大納言法印と乙鶴丸がそもそもどういう関係なのかとか。
所謂、恋人もしくは愛人関係にあって、やすら殿との浮気を疑って問いただしてるのか、つまり嫉妬。
それに対する言い訳?

あるいは単に使用人が遊びに行くのを咎められて、言葉に詰まったところ、ありえない言い訳をしたので、ツッコミを入れたということなのか。

男性と男性の下半身の関係、つまり、後ろからだけの関係なので顔は見てまへん、ということをエロ笑い話にした、という深読みもできますね。

兼好法師がどのへんに重きを置いて、あるいはどのような意図で書いたのかはちょっとわかりませんが、プライバシーの暴露という点ではかなり際どいですね。


【原文】

大納言法印の召し使ひし乙鶴丸、やすら殿といふ者を知りて、常にゆき通ひしに、ある時出でて歸り來たるを、法印、「いづくへ行きつるぞ」と問ひしかば、「やすら殿の許罷りて候」と言ふ。「そのやすら殿は、男か法師か」とまた問はれて、袖かき合せて、「いかゞ候ふらん。頭をば見候はず」と答へ申しき。

などか、頭ばかりの見えざりけん。

 

検:第90段 第90段 大納言法印の召し使ひし乙鶴丸