徒然草 現代語訳 吉田兼好

徒然草を現代語訳したり考えたりしてみる

吉田兼好の徒然草を現代の言葉で書いたり、読んで思ったことを書いています。誤訳や解釈の間違いがありましたらぜひご指摘ください。(序段---冒頭文から順番に書いています。検索窓に、第〇〇段、またはキーワードを入力していただけばブログ内検索していただけると思います)

第六十九段 豆の殻を燃やして

書写山円教寺の(性空)上人は、法華経を読んだ功が積み重ねられて、人間をまどわす六つの感覚器官「六根」(眼・耳・鼻・舌・身・意)がすべて浄化された人です
旅先で仮の宿に立ち入った時に、豆の殻を燃やしてその火で、鍋の豆を煮る音がつぶつぶと鳴るのをお聴きになって「同じ豆から生まれた、他人でないお前たち(豆殻)よ、恨めしくも私(豆)を煮て、辛い目を見せるのかい」と言ったと
燃やされるれる豆殻がはらはらと鳴る音のほうは「本意じゃないんだよ。自分の身が焼かれるのはどうにも耐えがたいけど、力が無いのでどうしようもない。そんなに恨まないでくださいよ」と聞こえたということですよ


----------訳者の戯言---------

豆と豆殻は兄弟みたいなもんです。
そりゃ辛い。わかるよ、その気持ち。


【原文】

書寫の上人は、法華讀誦の功積りて、六根淨にかなへる人なりけり。旅の假屋に立ち入られけるに、豆の殻を焚きて豆を煮ける音の、つぶつぶと鳴るを聞き給ひければ、「疎からぬ己等しも、恨めしく我をば煮て、辛き目を見するものかな」と言ひけり。焚かるゝ豆がらのはらはらと鳴る音は、「我が心よりする事かは。燒かるゝはいかばかり堪へがたけれども、力なきことなり。かくな恨み給ひそ」とぞ聞えける。

 

検:第69段 第69段 書写の上人は