徒然草 現代語訳 吉田兼好

徒然草を現代語訳したり考えたりしてみる

吉田兼好の徒然草を現代の言葉で書いたり、読んで思ったことを書いています。誤訳や解釈の間違いがありましたらぜひご指摘ください。(序段---冒頭文から順番に書いています。検索窓に、第〇〇段、またはキーワードを入力していただけばブログ内検索していただけると思います)

第六十六段 花がきれいに咲いた紅梅の枝を見て

岡本関白殿が、花がきれいに咲いた紅梅の枝を見て、鳥(雉)を一つがい添えて、この枝に付けて持ってきてよと、鷹の飼育役の下毛野武勝にお命じになったので「花の咲いた枝に雉を付ける方法は存じません。一つの枝に雉二羽を付けることも存じません」と申したところ、関白殿は料理担当にお聞きになって、人々に質問なさって、またもや武勝に「じゃあ、自分の思うように付けて持ってきてよ」とおっしゃったんで、武勝は花も無い梅の枝に、雉一つを付けて差し上げたんですね

武勝が申すには、
「鷹狩の獲物を結びつける『鳥柴』用の枝は、梅の花のつぼみ状態のものだったり、枯れたものに付けますね。五葉松の枝に付けることもあります。枝の長さは七尺、あるいは六尺、反対側は五分の長さになるように切ります。そして、枝の中ほどに雉を結びつけます。(雉本体を)つける枝、足をのせる枝も、それぞれ決まっています。裂いてないつづら藤の蔓(つる)で、二か所を結びつけるんです。藤の先端は、羽の末端部分の長さに合わせて切って、牛の角のように曲げるのですね。そして初雪がふった朝、この枝を肩にかけて、中門からかしこまった感じで参上します。庭の敷石を伝って雪に足跡をつけず、鳥の短い羽毛をちょっとむき散らして二棟の御所の欄干に、寄せてかけておきます。御祝儀の衣をいただいた時は、肩にかけて、礼をして退出するんです。初雪といっても、靴の先が隠れない程度の雪の時は参上しません。鳥の短い羽毛を散らすことは、鷹は雉の腰の細くなった部分を取って捕まえることから、ご主人様の鷹がこの雉を捕らえたから、という意味なのですよ」
ということなんですね

花の咲いた枝に雉を付けてはならないとは、いったいどんな理由があるんでしょうか?
長月(陰暦九月)ごろ、梅の作り物の枝に雉を付けて「あなたのためにと折った花は、季節も関係ありません」と言ったという話が伊勢物語に書いてあるんだけど
造花なので問題ないってことなんでしょうか?


----------訳者の戯言----------

長い。しかも今はこんなことやらないので興味が全然持てない。

しかし、この下毛野武勝っていう人、やたら細かいことにこだわるけど、別にそんなんどうでもええやん、と思うのは私だけか。
そして、兼好法師も、この件、やたらこだわってるのはどうしてなん?


【原文】

岡本關白殿、盛りなる紅梅の枝に、鳥一雙を添へて、この枝につけて參らすべき由、御鷹飼、下毛野武勝(しもつけの たけかつ)に仰せられたりけるに、「花に鳥つくる術、知り候はず、一枝に二つつくることも、存じ候はず」と申しければ、膳部に尋ねられ、人々に問はせ給ひて、また武勝に、「さらば、己が思はむやうにつけて參らせよ」と仰せられたりければ、花もなき梅の枝に、一つ付けて参らせけり。

武勝が申し侍りしは、「柴の枝、梅の枝、つぼみたると散りたるに付く。五葉などにも付く。枝の長さ七尺、あるひは六尺、返し刀五分に切る。枝の半に鳥を付く。付くる枝、踏まする枝あり。しゞら藤の割らぬにて、二所付くべし。藤の先は、火うち羽の長に比べて切りて、牛の角のやうに撓むべし。初雪の朝、枝を肩にかけて、中門より振舞ひて参る。大砌の石を傳ひて、雪に跡をつけず、雨覆ひの毛を少しかなぐり散らして、二棟の御所の高欄によせ掛く。祿を出ださるれば、肩にかけて、拜して退く。初雪といへども、沓のはなの隱れぬほどの雪には参らず。雨覆ひの毛を散らすことは、鷹は、弱腰を取ることなれば、御鷹の取りたるよしなるべし」と申しき。

花に鳥付けずとは、いかなる故にかありけん。長月ばかりに、梅のつくり枝に、雉を付けて、「君がためにと折る花は時しもわかぬ」と言へること、伊勢物語に見えたり。造り花は苦しからぬにや。

 

検:第66段 第66段 岡本関白殿、盛りなる紅梅の枝に 岡本関白殿盛りなる紅梅の枝に