徒然草 現代語訳 吉田兼好

徒然草を現代語訳したり考えたりしてみる

吉田兼好の徒然草を現代の言葉で書いたり、読んで思ったことを書いています。誤訳や解釈の間違いがありましたらぜひご指摘ください。(序段---冒頭文から順番に書いています。検索窓に、第〇〇段、またはキーワードを入力していただけばブログ内検索していただけると思います)

第三十九段 ある人が法然上人に

ある人が法然上人に「念仏の時、睡魔におそわれて行を怠ってしまうんですが、どうやってこの問題を解決したらいいでしょうかね」と言ったところ、「目が覚めた時に念仏しなさい」とお答えになったというの、とても尊いですね
また「極楽への往生は、必ずと思えば必ずできるし、できないかもと思ってしまったらできないかもしれないですね」とおっしゃったといいます
これも尊いお言葉です
また「疑いながらでも念仏をとなえていれば、極楽浄土に往生できますよ」ともおっしゃったとか
これもまた尊いですね


【原文】

或人、法然上人に、「念佛の時、睡りに犯されて行を怠り侍る事、如何して此の障りをやめ侍らん」と申しければ、「目の覺めたらむ程、念佛し給へ」と答へられたりける、いと尊かりけり。又、「往生は、一定と思へば一定、不定と思へば不定なり」といはれけり。これも尊し。

また、「疑ひながらも念佛すれば往生す」とも言はれけり。是も亦尊し。

 

検:第39段 第39段 或人、法然上人に、 或人法然上人に