徒然草 現代語訳 吉田兼好

徒然草を現代語訳したり考えたりしてみる

吉田兼好の徒然草を現代の言葉で書いたり、読んで思ったことを書いています。誤訳や解釈の間違いがありましたらぜひご指摘ください。(序段---冒頭文から順番に書いています。検索窓に、第〇〇段、またはキーワードを入力していただけばブログ内検索していただけると思います)

第六段 子どもはいなくていい

上流階級の人も、ましてや数にも入らんような身分の低い人には、子どもはいなくていいでしょうね

前中書王も九条太政大臣も花園左大臣もみんな、むしろ子孫が絶えて一族が滅んでしまうことを願っておられるくらいなんですから
染殿大臣だって「子孫はいないほうがいい 子孫が落ちぶれてしまうのはアカンことですからな」と世継の翁の物語の中で言ってます

聖徳太子が生前にお墓をつくった時にも「ここ切っといて! あそこ塞いどいて! 子孫は入れないようにするのだ!」とかおっしゃったらしいよ

 

----------訳者の戯言----------

またもや趣旨とは関係ないことかもしれませんが、前中書王とかよくわからん言葉出てきます。
さきのちゅうじょおう、と読むらしい。前中書王の兼明親王というのは醍醐天皇の第十六皇子らしいんですけど、16人も(もっと?)子どもいたのかすごいなーと思う。
で、中書っていうのは中務卿のことを唐でこう言ってたから、カッコよくこう言ってたらしい。ま、経営者をCEOと言ったりとか、課長をマネージャーと言ったりとかのカッコイイ感じと同じですか? 違いますか。アウフヘーベンとかワイズスペンディングとか、ああいうのと同じですか。それも違いますか。そうですか。

あとね、九条太政大臣とか花園左大臣とか、染殿大臣とか、地名っていうかお屋敷の名前をつけて呼ぶのね。今なら、赤坂のナントカさんとか、六本木ヒルズのなんとかさんとかっていう感じ? お金持ちとか有名人多すぎてわからんくなりますね。
ちょっと前ですが、田中角栄は「目白の闇将軍」。イメージ悪い。あと、「ハマの番長」とか「ハマの大魔神」とかですか。

さて本題ですが、この段の趣旨。少子化をさらに推し進めるような思想なんですけどね。
時代によって価値観は変わるってことです。
鎌倉末期なんか、産業革命のはるか前ですから、人口が増えすぎる懸念もないですしね。なのに当時こういう価値観があったって、ある意味凄いなと思います。

兼明親王は兄弟が多すぎて単にそれが嫌だったのかもしれません。それに加えて、これに出てくる方々って自分がまあまあの出来なもんで、後世に一族にダメな奴が出てきたら、俺の功績台無しじゃんって思ったのかもしれないですね。
ま、家とか一族とか、そういうのの単なる存続を望んだのではなく、名誉とか品格とかが結構大事だった頃の考え方の一つかもしれません。

 

【原文】

我が身のやんごとなからんにも、まして數ならざらんにも、子といふもの無くてありなん。

前中書王・九條太政大臣・花園左大臣、皆 族絶えん事を願ひ給へり。染殿大臣も、「子孫おはせぬぞよく侍る。末の後れ給へるは、わろき事なり」とぞ、世繼の翁の物語にはいへる。聖徳太子の御墓を、かねて築かせ給ひける時も、「こゝをきれ、かしこを斷て。子孫あらせじと思ふなり」と侍りけるとかや。

検:第6段 第6段 子といふ物なくてありなん