徒然草 現代語訳 吉田兼好

徒然草を現代語訳したり考えたりしてみる

吉田兼好の徒然草を現代の言葉で書いたり、読んで思ったことを書いています。誤訳や解釈の間違いがありましたらぜひご指摘ください。(序段---冒頭文から順番に書いています。検索窓に、第〇〇段、またはキーワードを入力していただけばブログ内検索していただけると思います)

2017-11-17から1日間の記事一覧

第九十二段 ある人が弓を習う時に

ある人が弓をを習う時に、二本の矢を持って的に向かったのね先生の言うことには「初心者は二つの矢を持ってはいけません。後の矢に頼ってしまって、はじめの矢にいい加減な気持ちが生まれるんです。毎回ただ当たりはずれなく、この一本の矢で決めるべきと思…

第九十一段 赤舌日というのは

赤舌日というのは、陰陽道では問題することではありません昔の人はこれを忌み嫌うことはなかったんですよね誰が言い出して忌み嫌い始めたのか、「この日のできごとは、最後まで達成することがない」と言って、その日言ったことやしたことが叶わず、得たもの…

第九十段 大納言法印の使用人の乙鶴丸

大納言法印の使用人の乙鶴丸が、やすら殿という者と仲良くなって、いつも遊びに行ってたんだけど、ある時出かけて帰ってきたので、法印が「どこに行ってきたの?」と聞いたら「やすら殿の所へ行って参りました」と言うんですよ「そのやすら殿は一般の男か、…

第八十九段 猫また

「奥山に『猫また』っていうのがいて、人を食べちゃうの」と、誰かが言ったのを聞いて「山じゃなくても、この辺でも、猫が年取って『猫また』になって人を襲うことはあるのにね」と言う者がいたんで、何とか阿弥陀仏とかいう、連歌を詠む僧侶なんですが、行…